
★☆『今年の新入生は3人』

★☆『前を向いて歩いて欲しい』 今の震災体験の子供たちは、充分すぎる体験をした。だから、前を向いた話をしていきたい。 ただし、数年後の入学してくる震災を知らない子供たちに対しては、しっかりと震災を振り返ることを忘れないようにしたい (高田東 吉田校長先生)
★☆『家庭環境は落ち着いていますか?』 2年前に伺った学校で子供たちの状況をお聞きした時に 『生徒が安心して学べるには、まずは親が安定(経済的・精神的)しなければいけない。 今後の不安から、家で心配な顔を親がしていたら子供たちはすぐに気が付く』 (言葉は違うが、こんなイメージのことを言われた) 『親御さんを含めて、家庭の状況はいかがですか?』ときいてみると、まだまだ複雑のよう。 震災後に離婚・結婚した家庭も多いようだ。理由はわかりませんし、子供たちへの影響もわかりませんが、安定しているとはまだ言えないかもしれない。
★☆『片道1時間。往復2時間のスクールバス登校』 全壊してしまった気仙中学校は、震災発生の3月に統合し使われなくなる予定だった矢作中学校へ全校生徒が移転することになる。 しかし、気仙中学校から矢作中学校までは車で30分離れたところにあり、各地区の生徒を拾いながら周回すると1時間かかる。 学校から遠い生徒は、自宅近くに別の中学校もあるが、友人関係もあるのだろう、時間が掛かりながらも間借りしている中学校へ通う。 あと1年で卒業だから・・・ 統合の話があるから・・・ 運動不足が校庭がないからという話もあるが、通学の足がスクールバスになったという理由も否めない。安全安心という理由から、自ら体力を養う機会を失っている。これもやはり震災の影響。
★☆『遺影を持って集合写真』 昨年の3月に高田東中学校と統合した小友中学校の記念誌を拝見した。 今までの歴史が詰まった記念誌で、毎年の修学旅行時の集合写真もある。(背景が国会議事堂だったので、都内で撮影したのだろう) その集合写真の最後のページは被災した生徒たちの学年。集合写真に写る生徒たちの手には遺影が。 岩手県では震災当時、学校にいた生徒たちの死亡は「0」だが、当時休んでいたり、下校した生徒たちには被災し命を落としたものもいる。 小友中学校は卒業式を前に、震災当日は午前中で終了し生徒は帰宅していた。早めに下校した生徒たちを津波が襲った。 集合写真では、亡くなった仲間の遺影を持ちピースサインをして笑顔で写る。 生徒たちの気持ちを思うと、長い時間その写真を見続けることができなかった。 実は他校も、危なかったという先生もいる。 地震の発生時刻は2時46分。午後3時になれば、各学校とも生徒たちは下校することになる。地震がもう少し遅ければ、生徒たちの被害も大きくなっていたのではと。
★☆『大川小学校の津波被害。他人事ではなかった』 広田中学校の体育館には生徒及び住民の方々が集まっていた。 校長先生は、普通の地震ではないので、もっと高い所に避難することを提案。 しかし、一同に『チリ地震でもここまで来なかったから大丈夫だよ先生』と住民たちは聞く耳を持たない。 そんな時、遠くに見えた堤防を乗り越える海水(お風呂の入った時にお湯が溢れるような海水)。その状況をたまたま見ていた校長が、ここではまずいと高台避難を指示。 全員が急いでもう少し高台の広田小学校へ避難。全員無事ではあったが、お年寄りや体の不自由な方は膝まで海水につかった。 『堤防を越える所を見ていなかったら・・・』
★☆『ネパール地震の募金』 寄付金を渡しにいった高田第一中学校。この日はユニセフ関係者も来校していた。 生徒たちがネパール地震に対しての募金を集め、それをユニセフに渡す日だったのだ。 国内や海外では災害が続発。生徒たちはお世話になった恩返しにという思いが強いらしい。 寄付は素晴らしい事なのだが、正直に言うと『寄付している人に寄付をする』というこのタイミングは、ちょっとばつが悪いもので・・・。 恐らく生徒さんたちも同じだったのでは(汗) 各学校の皆さま、市の学校教育課のみなさまには貴重な時間を割いていただきながらお話も聞いてきました。 本当にありがとうございました。